▲ある日の店舗前の路上にて
バブル景気がいつ始まって、いつはじけたかなんて、その時期の大半を中・高校生としてすごした身にはほとんど実感などなかったのだが、この頃、実家のある文京区では、「地上げ」と称してどんどん空き地が増えていき、銭湯がなくなり、毎日のように通いつめていた路地裏の駄菓子屋が次々と消えていくことがとても寂しかったのを覚えている。中学生まではほぼ毎日、学校が終わると近所の駄菓子屋に入り浸っていたのだった。
その後、コンビニで同じ駄菓子が売られるようになっても、ぎっしりと駄菓子やくじ、おもちゃの類いが詰め込まれた店内と、店番をするじいさん、または、ばあさん(決して愛想はよくない)がセットになっていなければ、駄菓子を買うたのしみは半減した。
薄暗い店舗の中で、じいさんばあさんの視線というプレッシャーと戦いながら、握りしめた100円をいかに有効に使うか(実際、100円あれば駄菓子屋ではとても満足な買い物ができたのだ)を思案し、今日はちょっとフンパツして100円の
ケンちゃんラーメンを食べようと決めて、駄菓子屋のばあさんにお湯を入れてもらい、さあ食べようとしたら学校の先生が突然見回りに来て、ふ菓子を食べていた友達はサッと裏道に逃げたのに、ケンちゃんラーメンのお陰で逃げ遅れて「放課後の寄り道」の罪で学校に連れ戻されて2時間正座させられた(もちろんケンちゃんラーメンも食べ損ねた)、とか、駄菓子屋にまつわる思い出は多い。
2000年頃、まだ旅猫雑貨店を始める前の構想段階で、もし店舗を持つようになったら売りたいもの、というリストの中に「駄菓子・点取占い」と書いていた。昔ながらの駄菓子屋の、その片鱗だけでも店に取り込みたいという希望である。
開業5年目にしてようやく実現した店舗は猫の額ほどの小さな物件で、とても駄菓子のコーナーを作れる余裕はない。しかし、かつて通った駄菓子屋のような雰囲気が少しでも出せないだろうかと、日々、試行錯誤している。そうして、あれは「簡単には真似のできない雑然」だったのだとわかってきた。何年も何年もかかって、子供の需要に合わせて商品を増やしていった結果が、あの雰囲気を作っていたのだ。
雑司が谷の隣町である東池袋・日の出町商店街にはまだ昔ながらの駄菓子屋が2件残っている。数年前にどうしてもロウ石が欲しくて駄菓子屋を探しまわり、ようやく見つけたのがこの日の出町商店街だった。店のおばさんは「最近の子供はロウ石なんかで遊ばないからねぇ。たまに買いにくると、学校の授業で使うからって。でもいつ欲しいって言われるかわかんないから置いてるのよ」と言って、駄菓子が積み上がった棚の下の方から、ロウ石の入った箱を取り出した。
現在当店で取り扱っているのは、しょうのう舟、ロウ石、紙せっけん、点取占いなど。雑貨に馴染むおもちゃが中心だ。駄菓子は、どうせやるならコンビニに対抗できるくらいの圧倒的な品数と量が必要で、今のところ見送っている。それに、駄菓子屋の店番をするのはもっとばあさんになってから、買いにくる子供をじろじろ見て怖がらせたりしてみたいではないか。
【今日の点取占い】
posted by 店主かねこ at 01:45|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
□路地裏縁側日記
|