■田山花袋「東京とその近郊」(『東京の近郊』上編、大正5年 実業之日本社刊)より引用
2009年10月16日
■田山花袋のわめぞ散歩
「諏訪の森から目白台を見た景色はちょっと好い感じのするとこであったけれど、今では二階屋だの大きな家だのが建てられて、畠道をずっと横ぎって行くことも出来なくなっていた。それから私は戸塚(引用者注:現在の西早稲田)へ出た。ここらは好い都会と野との接触点であったが、それももう余程西北に移っていた。ー<中略>ー面影橋あたりもやはりそうだ。其処に、山茶荘という野菜料理がある。そこは庭がちょっと好い。そこから雑司ヶ谷の町へと上った。そこの町は古いおもしろい町であったが、割合に昔の面影が残っているのはうれしかった。それから鬼子母神にお詣りをして、護国寺へと出て、儒者捨場へ入って行って見て、それから大塚の方へと行った。」
■田山花袋「東京とその近郊」(『東京の近郊』上編、大正5年 実業之日本社刊)より引用
■田山花袋「東京とその近郊」(『東京の近郊』上編、大正5年 実業之日本社刊)より引用
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック