みちくさ市に合わせて開催する「雑司が谷みちくさあるき」は、主宰の余吾育信さん、親交のある写真家の岩田智明さんと私との3人で企画を温めてきた、まち歩きイベントです。第1回は3月開催を予定していましたが、東日本大震災の影響により「みちくさ市」が中止となったため、それに準じて5月8日(日)にようやく開催の運びとなりました。(リンク >> 雑司が谷みちくさあるき ブログ)
当日、集合場所の雑司が谷旧宣教師館入口には、余吾さんの長女Sちゃんが描いたポスターが目印に置かれました。当店も「ふるどうぐ たびねこや」として描かれております(画像クリックで拡大)。「ぞうさんぽ」とは企画段階で候補にあがっていたイベントのネーミングです。最終的に「みちくさあるき」にしてしまったため、Sちゃんに怒られてしまいました。(主催団体名が「ぞうさんぽの会」になるかも?)
当日参加の方を含め、8名の参加者が集まり、まずは旧宣教師館2階の地形図ジオラマを囲みながら、岩田さんによる地形のレクチャーがありました。地域雑誌『坂まち通信』の編集人でもあった岩田さんは、地形、地質に非常に詳しく、この日のために25万分の1スケールの立体地形図を制作し、参加者全員に配られました。
20分ほどのレクチャーのあと、まち歩きに出発。
古地図を片手に、余吾さんの解説を聞きながら歩きます。
弦巻川の跡や、台地の高低差を確認しながら、江戸時代の地図にも載っている道を辿って、護国寺方面へ。
雑司が谷1丁目は階段道の宝庫。弦巻川(現在は暗渠)の谷から、雑司ヶ谷霊園に向かって崖のように急激に切り立った地形になっているため。
坂道の途中、現在は取り壊されてしまった稲荷への参道は立ち入り禁止になっていて、草が伸び不思議な空間ができています。この崖地には武家の墓があったのではないか、とのこと。
文藝春秋社を創設した小説家・菊池寛、『大漢和辞典』を編纂した諸橋轍次が住んだ路地。未舗装の路地が多いのも雑司が谷の特徴。
江戸名所図絵にも描かれている「清立院」と「御嶽坂」。弦巻川に石橋をかけた記念として、1733(享保18)年に建立された石塔が現在も残っています。上の写真で皆さんが立っている場所は、(↓)下の図絵の真ん中あたりに、ぽっかりと空いている広場のようなところ(ちょうど人が何人か立っている)ところです。
▼画像をクリックすると別ウィンドウで拡大します
崖の上にある清立院からは、雑司が谷の「谷」そして新宿方面がよく見えます。
御嶽坂のあたりにいつもいる野良猫・みたけちゃんが、のんびり我々を眺めておりました。
このあと、雑司ヶ谷霊園から都電荒川線沿いを歩いて陸橋の下から都電を眺め、さらに大鳥神社から七曲がりの道を通って鬼子母神参道へ。静かな路地から、急にみちくさ市と手創り市でにぎわう参道に出て、知っている町なのに、不思議な感覚がありました。鬼子母神堂に着いたところで解散。気温も高く、歩いていると汗ばむ陽気でした。参加者の皆さん、そして案内人の余吾さん、岩田さん、お疲れさまでした。
終了後、参加者のみなさんに、アンケートにお答えいただきました。それを元に後日、余吾さんのご自宅に伺って反省会を行いました。配布した資料についてなど、改善した方がいい点もいくつかありましたが、概ね好評をいただき、今後に期待されている声もちらほら。第2回をいつ、どんな内容で行うかなど話し合ってきました。
尚、いただいた参加費から経費を差し引いた金額は、あしなが育英会「あしなが東日本大地震・津波遺児募金 」に寄付されます。金額のご報告などは後日、余吾さんの方から、雑司が谷みちくさあるきブログでご報告させていただきます。
粋な大人の知的あそびですね〜。
これからは、ちい散歩、ブラタモリ、みちくさあるき、でキマリですね。
もやサマは次点。
私はぞうさんぽの方が好きかも(笑)
散歩もいろんな切り口があるものですね〜。
阿佐ヶ谷でもやってみたらどう???
文士ネタがいっぱいありそうだし、
途中にたくさんよい喫茶店もあるし…「おひとつ散歩」いいんでないの。
おひとつシネマ、いつか行きたいと機会を伺ってますがなかなか。