『こわれた腕環 ゲド戦記II』
ル=グウィン作 清水真砂子訳
「彼女が今知り始めていたのは、自由の重さであった。自由は、それをになおうとする者にとって、実に重い荷物である。勝手のわからない大きな荷物である。それは、決して、気楽なものではない。自由は与えられるものではなくて、選択すべきものであり、しかもその選択は、かならずしも容易なものではないのだ。坂道をのぼった先に光りがあることはわかっていても、重い荷を負った旅人は、ついにその坂道をのぼりきれずに終わるかもしれない。」
児童文学のこんな言葉に思わず背筋を伸ばします。こういう一文を子供の頃に読んだらどう思ったでしょう。これを読んでふと、“織司”田島隆夫の余技について書かれた白洲正子の言葉を思い出したり。
「この頃のように繁雑な世の中になると、暇をつくるというのは強い意志を要することで、充実した仕事をするよりも、いいかげんな所で忙しがっている方が、はるかに楽だし、世間の受けもよい。そういう風潮に背を向けて、黙々と自分の世界を守っているのは、どんなに忍耐のいることか。彼が絵筆に親しんでいるのは、半分は気分転換のためにしても、孤独に堪えているのではないかと私は思う。」(白洲正子・田島隆夫『白洲正子への手紙』文化出版局より)
ゲド戦記と白洲正子。どちらも怠けた自分の胸につきささる言葉なのでした。