2007年07月01日

■1日と15日の謎

osekihan.jpg

久しぶりに大家さんの差し入れ公開です。公開は久しぶりですが、差し入れは毎日続いております。ありがたいです。

で、今日は1日なので、お赤飯です。え?なぜ?と思われる方が多いでしょう。わたしもその1人です。大家さんの家では代々の決まりなのでしょうか、毎月1日と15日には必ずお赤飯を食べるのだそうです。自分で食べるのみならず、ご近所にも配っておられます。2人では食べきれないぐらいの量で、その上、必ず“ゆで卵”が3個ついています。

なぜでしょう。なぜなんでしょう。大家さんに聞いても、「いいのよ!きまりなんだから!」としか答えてくれません。この店舗に入居してからの11ヶ月間で、これまでの一生で食べてきた量を超えるぐらいのお赤飯を食べているかもしれません。

毎月1日と15日はとにかくおめでたい日なのでしょう。お陰さまで元気になります。とてもおいしいお赤飯です。でも、なぜなんだろう。
posted by 店主かねこ at 20:00| Comment(5) | TrackBack(0) | □路地裏縁側日記 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
月に2回っていうのも不思議ですが、このお赤飯の量は異常に多いような気がしますが・・・
Posted by Mongo at 2007年07月01日 23:00
こんにちは! 近所の者です。
お赤飯、おいしそうですね。
月二回の赤飯の話が興味深かったのでオットに話したら、
「ぼくの家も毎月1日と15日はそうだった」
と言っていました。
「職人の家ではよくある」んだそうです。
関係あるかな?
Posted by きーろん at 2007年07月03日 22:41
>Mongoさん
そうなんですよ!もち米だし、腹に溜まる溜まる。
2人でぱくぱく食べるのですが、どーしても、
残ってしまいます。
これからの季節は冷凍保存かな……

>きーろんさん
書き込みありがとうございます。
大家さんの実家は以前は酒屋さんだったそうで、
そういう「験(げん)を担ぐ」みたいなところは、
職人さんと共通するところがあるのかもしれませんね。
暦とか干支に関する話もお好きなようです。
Posted by か猫 at 2007年07月04日 03:29
長谷川時雨もそういう習慣があった、と晩年に身近にいた作家が回想記に書いています(若林つや『野薔薇幻相』)。

検索すると、商家では小豆飯を一日十五日に食べる習慣があると紹介しているサイトがいくつかありました。必要な栄養素を取る以外におせちのように「まめに暮らす」をいう意味をこめてたのかもしれません。

長谷川時雨の父は弁護士でしたが、その前は幕府御用の商人でしたから、江戸時代からの習慣を時雨が受け継いでいたのではないでしょうか。
京都の随筆家大村しげの料理本を見ると、月末にはおからを食べることになっている、と書いてありました。
Posted by ちわみ at 2007年07月04日 13:10
わ、わ、ちわみさん、ありがとうございます!江戸時代!
今日のことですが、お客さまのSさまという方が、うちの店にある、
『暮らし12か月 女の心仕事』(千代芳子著/文化出版局刊)という本を見て、
「ブログに書いていた1日と15日のこと、この本の一番最初に書いてありますよ」
と教えてくださいました。引用します。

「はじめに  日本人の暮らしの中で、かつては、一日と十五日は「おついたち、じゅうごにち」と敬ってよばれ、ハレの日と日常生活の大切な区切りの日とされてきた。おついたちには、神棚に新しい榊の葉と、お赤飯を供える家も多かった。」

と、1ページ目に書いてあったのでした!ひぇ〜。
灯台下暗しとはこのことです。疑問を投げかけるだけで
自分で調べないという横着者、お許しくださりませ。

次は「おから」……
Posted by か猫 at 2007年07月04日 21:22
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