頂上でご来光を拝み、おにぎりを食べ、噴火口を見て、ハガキを出し、トイレを済ませ、5時45分過ぎ、下山開始。河口湖口は登山道と下山道が分けられており、険しい岩場とはおさらば!4時間ぐらいでサクサクと下っていけるだろうと思っていた。ところが、である。
この下山道がクセ者で、紫外線のきつい直射日光の下、単調なつづら折り(しかも滑る)が下っても下っても延々と続く。思いのほかつらい。
登りであれほどあった山小屋も、8合目に1カ所あるだけ。登りの時のような「あの山小屋までがんばろう」という目標がなく、休憩は炎天下。眺めだけはいいんだけど……。
海ねこさんの鼻、腕がみるみる日焼けで赤くなっていく。早く下りたい気持ちとは裏腹に、足は溶岩の砂利で滑っておぼつかない。
8:42 まもなく2時間近く下っているのに、5合目は遙か下方にあって近づいてこない。全員うんざり。「登りより地獄」という声も上がる。
このあと、私は急激に気分が悪くなってしまう。8合目にあった山小屋で水を買っておけばよかったのに、(もう少し下に行ってから買おう)とやり過ごしてしまったのが運のツキ。足が全く前に出なくなる。数年前の東京国際マラソン、四谷付近から急激に失速した高橋尚子状態。吐き気までしてくる。熱中症のような感じ。しかし自力で降りる以外ないので、あとから来る人々にどんどん追い抜かれながら(小学生にも抜かれた)ノロノロと下る。
3時間ぐらい下ったところになにか建物があり、それだけを生き甲斐にしてようやく辿り着いたら、そこは落雷時の避難所だった。み、みずーっ。水をくれーっ。と、ココロの中で無情の叫び。
さらに数百メートル下にも建物が見え、あそこに行けばさすがに水があるだろう、と気力を振り絞って降りて行く。で、辿りついたら、そこにはトイレしかなかった。水、ない。泣けてきた。情けない。
もう自分だけでは歩けず、同居人の腕と、ステッキに寄りかかるようにして進む。足が動かないので上半身がつんのめって何度も転びそうになる。6合目と5合目の中間ぐらいに安全指導センターがあり、そこで係の方が私物の水筒からコップ2杯の水を飲ませてくださった。細胞に染みわたる水。ありがとうございました。海ねこさん、Mongoさんにもご心配を掛けてしまった。
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11:10頃、結局、5時間半近くかかって五合目着。すぐに水と、ソフトクリームを買って食べ、日陰で頭から水をかぶる。タオルを濡らし、頭、首筋を冷やす。はぁ〜死ぬかと思った。とにかく終わった。日陰で休んで、12時のバスで深大寺・新宿へ。車中は爆睡。
最初の富士登山よりもかなりキツかった2度目。ルートの違いによるものなのか、私の体力が落ちているせいなのか(両方ですね、きっと)、やはり富士山は甘くなかった。次回に向けて(まだ行く気)日夜、森光子並みにスクワットに励みたい。
登山中に拾った、ハート型の溶岩。
意外と早く、5日後に届いたハガキ。富士山頂郵便局の消印が押されている。
帰宅後翌日から激しい筋肉痛で、見かねた大家さんが、かかりつけの接骨院(雑司が谷の平井先生)から塗り薬をもらってきてくれた。これをつけたら、翌日には劇的に痛みが消えた!すごいぞ、平井先生。ありがとう大家さん。
(おわり)
鮮やかすぎて苦しさがよみがえります。
ほんと、無事でよかった。
お疲れ様でした。
それにしても大家さん!
なんでもでてくるなあ。
はるか遠くから頂上を見て、
「わー、あそこにいたんだー!」っていう感動が
またいいんですよ。
大家さんからはこの塗り薬を2本もらいました。
なんでも余分にくださいます。
Mongoは下山後5合目から仰ぎ見て、
ああ、あそこまで行ったのかと思ったそうです。
「山と渓谷」別冊「富士山ブック2007」の表紙写真を見ると、登山口・下山山がクッキリわかるので、我が家では「ああ、ここを行ったんだねえ」「うへえ!」と嘆息でした。
で、次の予定は? 富士山よりつらいと言われているーー島はいつ行くんですか? 来年でしたら二人、参加希望です(笑)。
一度登ると、「富士山」という言葉にものすごく敏感になりますよね〜。
テレビ、雑誌、街頭でも。
先日新宿に行ったら、高速バス乗り場付近に
明らかに富士山帰り(金剛杖持ってる)の人が数グループいて、
思わず「お疲れさまです!」と声を掛けそうになりました。
ーー島、隙あらば今年でもと思っているのですが、
その場合は先遣隊として偵察、ご報告申し上げます。