私が何度も何度も読み返している、三田村鳶魚(みたむらえんぎょ)著『江戸ッ子』という本があります。鳶魚は江戸の研究に生涯を捧げた明治の人で、この本の中で本当の江戸庶民はどんな暮らしをしていたか、そもそも江戸とはどこからどこまでを言うのか、などを様々な文献から考証しています。
その鳶魚でさえも、『江戸ッ子』の冒頭でこんなことを書いています。(以下、引用)
「江戸ッ子というものは、私には久しい問題でありまして、誰もむずかしいことだと思っている人もないようですが、それでいてなかなか面倒な問題だと思います。江戸ッ子というのは熊さん・八つァんのことだといえば、一口で片付いてしまう。江戸で生まれない江戸ッ子はない。だが、江戸で生まれた者が、皆江戸ッ子かというと、そうでもない。これだけでもちょっとわかりにくいようです。」
江戸城下が拡大するにつれ、江戸ッ子の定義もどんどん変化していったようです。
市ヶ谷船河原町を歩いていたとき、新宿区教育委員会が立てた「新宿区の史跡・掘兼の井」の表示板を見つけました。そこには、
「掘兼の井とは、『掘りかねる』の意からきており、掘っても掘ってもなかなか水が出ないため、皆が苦労してやと掘った井戸という意味である。」
と書かれていました。
これを読んで「おや?」と思い、家に帰って鳶魚の『江戸ッ子』を読み返すと、こう書いてあります。(以下、引用)
「これは所沢に近い掘兼村にある井戸のことを書いたので・・・(中略)・・・「掘兼」というのは、掘りかねるという意味では無論ない。「兼」という字も借物で、私などは、これは曲尺のことを「カネジャク」という、あの曲の字を書いた方が、よく意義が現れると思う。螺旋状をなしているのですから、曲の手にぐるぐる回って掘り下げてある、それで「掘兼井」というのだと思っています。」
さて、どちらが正しいのでしょう。こんなふうに、ことあるごとに鳶魚の本を参考書代わりにしながら、東京を歩いています。
興味のある方はぜひ読んでみてください。中公文庫から「鳶魚江戸文庫・9」として出ています。何度読んでも面白いですよ。
posted by 店主かねこ at 00:00|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
2003年以前の日記
|